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  • 2017.06.12 Mon
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袖山さんの刃物。

Mr. Sodeyama’s cutlery.

今日は巻で刀をつくっている
鍛冶職人、袖山一敏さんの話をしたいと思います。

私の母方のひいお爺さんが竹細工職人だと
知ったのは鯛車を初めて作った15年前。

母方の実家には大きな竹やぶがあって
そのそばには、ひいお爺さんが働いていた小屋がまだ残っていました。
その小屋の中には当時使っていたであろう竹ナタも残っていて、
初めて完成させた鯛車にはその竹ナタから切り上げた
竹ひごを鯛車の骨組みに使いました。
鯛車10台分の竹ひごを作るのは本当に大変でした。
その竹ナタは、初めての竹ひごづくりで苦戦していた私を
すごく助けてくれましたよ。

その時使ったひいお爺さんの竹ナタには「兼光」という刻印が
深く刻んでありました。
気になって「兼光」を調べると巻に刀鍛冶の職人さんが
いて袖山一敏さんという人にたどり着きました。

すぐに袖山さんに会いに行き、ひいお爺さんが使っていた竹ナタを見せると、
それは当時先代だった袖山さんのお父さんと、
まだ若かりし頃の袖山さんがつくったものだということがわかりました。
ひいお爺さんが生きているときなのでかれこれ50年、60年も前の話です。

その後、私が使うための小さな竹ナタを作ってもらったり
自宅で使う包丁を私がつくった鯛車と交換したり(笑)、
その包丁の切れ味が悪くなるとや研ぎに持って行ったり
さらにガルベストンへ包丁を持って行ったりと
袖山さんとは10年以上交流が続いています。

そして3年前、鯛車をビームスに置いてもらっている関係で
バイヤーさんにお土産として、いつも自宅で使っているものと
同じ包丁を持っていき見せ、袖山さんの後継者を
探すお手伝いをしている話をしました。
バイヤーさんはとても喜んでくれて、
自宅のあるロンドンに持って帰って使ってくれました。

その後1年がたち、バイヤーさんが巻に来てくれたタイミングで
袖山さんの仕事場をご案内して、袖山さんがつくっている
刀や包丁類を見せたところそのときも喜んでくれました。

そのときの写真がこちら。
袖山さんがつくった刀と一緒に。

それから更に半年くらいたった頃でしょうか。
バイヤーさんから電話がかかってきて、新宿に
ビームスジャパンという日本の伝統工芸とファッションを融合した
施設をつくるからオープニングに鯛車のワークショップと
兼光の刃物を一緒に置かせてほしいと連絡があり、
そこから袖山さんの「兼光」と「ビームス」との関係が生まれました。
ビームスは若者に絶大な人気があり
若い人たちに袖山さんの刃物を知ってもらうにはぴったりの場所でした。

そして今年はビームスと兼光が初めてコラボレーションした
アイテム、パン切り包丁が完成しました。
作り手の袖山さんはもちろん、
巻のデザインチーム、
中吉川APのみんなが仕上げた逸品です!
これはビームスでしか売っていないオリジナルの商品です。
すごいことですよね。

今回は鯛車も展示してもらっている関係で
袖山さんを連れて、新宿のお店に行ってきましたよ。
そして噂のパン切り包丁がこちら↓

バイヤーさんが世界中に袖山さんとパン切り包丁を
発信してくれました。
スーツ姿の袖山さんとともに。
鯛車も兼光とともに綺麗に飾ってありましたよ!

パン切り包丁以外も置いてもらっています。
そんなにすぐ売れませんが、
外国の方や料理人が買ってくれて
じわりじわりと売れているようです。

先月、表参道教室にきてくれた生徒さんも
購入してくれましたよ!

こちらはバイヤーさんと袖山さん。

新宿でお昼を食べる袖山さん。

そして刀を観に上野の東京国立博物館へ。
国宝の刀を観て、袖山さんの目つきが変わった瞬間!
1本1本、どういう刀か袖山さんに説明してもらいながら
博物館を回りました。贅沢ですよね。
帰り際、大好きな盆栽を観に上野のお店へ。
ここでも目の輝きが(笑)

行き帰りの新幹線の中でパン切り包丁はもっとこういう風にしたいとか、

これからこういうものをもっと作りたいとか、84歳とは思えない
探究心に、道中の2時間があっという間にすぎて
もっと話を聞いていたいくらい貴重な時間を過ごすことができました。
まだ後継者は見つかっていませんが、これからも
鯛車と刃物、一緒にモノづくりを通じて良い関係を築いていきたいです。
もし刃物に興味ある方、ご連絡お待ちしておりますね。
奥さんの待っている自宅に帰ってきた袖山さん。