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2014.10.26 Sun
職人の意思を継ぐ。
全くタイトルと似つかない話しで始まり失礼いたします。。。
私たちの活動拠点である「鯛の蔵」、
定期的に開館するようになってから
毎週たくさんの人が来てくれますが、
近くに住んでいるこの子たちも急に入って来ては
2階にダッシュで駆け上がり、すぐに降りてくることが
頻繁にあります。
様子をうかがっていますね。 |
この前の夏に、入り口の戸を開けっ放しにしていたら
いつの間にか入って来ていて、
誰もいないはずの2階になにやら音が聞こえたのを
不審者かと思って、ビクビクしながらホウキを持って2階にあがると、
この子が隅っこに小さく固まっていたなんてこともあったくらいです。
こんな平和を感じる日曜日の鯛車教室ですが、
今回はもう一人ゲストの方がいらっしゃいました。
新発田で金魚台輪を広める活動をしている沖さんという
女性の方です。
まず金魚台輪がどういうものかと言うと
ほとんど鯛車と見た目も作りも同じなのですが、
尻尾の形が花びらのように1枚の紙でできているのが
特徴で、鯛車はお盆ですが金魚台輪はお祭りに
今でも使われている山車で、実物はものすごく大きいものです。
昔、新発田のお殿様が金魚が好きで作らせたそうで
もしかしたら原型は鯛車だったのではないかとも
言われているようですよ。
話しは少しさかのぼりますが、
今から9年前に、私がまだ鯛車教室をはじめたばかりの時に
当時金魚台輪を一人で作っていた新発田の太田さんという
職人さんを訪ねたことがありました。
その時に金魚台輪を作る工程を一通りおしえてもらい、
太田さんと交流が始まったのですが、
その太田さんが3年前に亡くなりいよいよ金魚台輪も
作る人が途絶えてしまい、とても寂しい気持ちでいっぱいでした。
しかし、昨年に金魚台輪を復活させたいという女性がいるというので、
紹介したいという話しをいただき、作り方も似ているということから
巻にきていただき、金魚台輪ではなかったですが、
鯛車の作り方を私たちプロジェクトで指導させていただきました。
あれから1年ぶりに完成した金魚台輪を持って
教室に遊びに来てくれました。
これが金魚台輪の発起人の沖さん。 |
話しを聞くと太田さんが亡くなり、太田さんが使っていた道具や
材料を全てご家族が処分されたようで何も残っていなかったようです。
私が訪ねた時はおそらく何百台もの数が作れるような
材料がパーツごとに棚に入れられていたのをよく憶えているだけに
残念でなりません。
しかし奇跡的に伝わった技術がひとつありました。
職人の太田さんが使っていた金魚に塗る赤い色は
新発田のちょうちん屋のおじいちゃんが
調合していた色なのですが、沖さんがそのちょうちん屋のおじいちゃんが
亡くなる直前に会うことができて色の作り方を教わったんです。
これは本当に間に合ってよかった!!
今回の鯛車教室では、その貴重な色の調合を実際にやって見せてもらいました。
教室の生徒さんたちは囲むように実演の様子を見ていましたよ。
ここは企業秘密!?というか うまく説明できませんが、顔料の粉とにかわの代わりになる ある粉をゆっくり混ぜ合わせていきます。 |
せっかくなので完成した色を 塗らせてもらったのですが、 とても発色の良い赤い色でした。 |
そして今、金魚台輪の技術を子どもたちに伝えたいと日々研究されています。
これからどんなふうに広がっていくか楽しみですね。
形は違いますが目指している方向性は同じで
とても共感できました。今度は新発田に遊びに行きたいです。
その時は鯛車をお土産に持って(笑)
わざわざ巻までお越しいただきありがとうございました。
いただいた金魚台輪は鯛の蔵の階段の前の棚に飾らせて
もらいましたのでみなさん、ぜひ観に来て下さい!
教室もスムーズに進んでいます。 |
鯛の形になってきましたね! |
みんな良い顔で作っているのが 何より嬉しいです! |
それでは次回お楽しみに!
と、言いたいところですが
また11月の前半から渡米して鯛車をおしえてきたいと
思いますのでこちらの教室の様子はしばらくお休みになります。
巻の鯛車教室はまた戻り次第お伝えしますね。
お休みの間、巻の先生たちにお任せして行きます。
巻は優秀な先生がたくさんいるので問題なしです!
問題はガルベストンの参加者が昨年より増えて
20名を3人でおしえないと。。。
果たしてどんなふうになるか楽しみですね。
日本と違って一筋縄でいかないところも実は魅力的。
なるべく現地にいる間にブログ更新できたらと
思ってますのでお楽しみに!!
次回は新潟の姉妹都市アメリカ、テキサス州 ガルベストンからお伝えします! |