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被災地をまわり気付いたこと。

本当は自分の中で留めておけばいいのかもしれませんが
自分が仙台で見て感じたことを書きたいと思いましたので
お付き合いください。

不快に感じたり、写真を削除してほしいと言う方
いましたらいつでもおしえてください。
すぐに対応させていただきます。

こちらまで→ taiguruma@gmail.com(野口)

先週の仙台鯛車教室初日の翌日、
教室で被災地をまわってみたいと
生徒さんたちに話しをしていたところ
参加者の齊藤さんが連れて行ってくれることになり
甘えてしまいました。。。
齊藤さん、丸一日お付き合いいただき
ありがとうございました!
車でないと絶対無理でしたね(汗)

まず連れていってもらったのが、石巻で
新潟にも同じ地名がある「日和山」

こちらは震災前の様子
(展望台などのスポットにはパネルがあちらこちらに設置してありました)
こちらが震災後。瓦礫も撤去され、初めからこの風景だったと
言われれば何もわからないくらい。

そしてこちらは震災前の中瀬公園が見える風景。
真ん中左に見えるのは石ノ森漫画館
ご存知の通り石ノ森章太郎の漫画ミュージアムです。

今ではこんなになってしまいました。
漫画館は残ったものの、まわりは。

そして教室初日に生徒さんから紹介いただいた観光協会の方に
石巻〜女川をめぐるコースをおしえていただきました。

ここはその漫画館から少し離れた石巻にある専修大学。
専修大学の広いグラウンドがあったおかげで
ボランティアの人たちがここでテントを張って
宿泊することができたそうです。もちろんここで炊き出しも。

ここからがすごく複雑な話しです。
石巻の駅から離れたところは津波がきたせいで
家が流されたり、引っ越さなければいけない人たちが
たくさんいたそうです。
そして少し離れた校外の物価が震災前の
1.5倍〜2倍に土地がふくれあがり住宅街ができ、
大型ショッピングセンターなどができました。

そしてこの写真が衝撃の1枚。
左はその土地に建てられた新築の住宅街。
右は仮設住宅の集合体です。1本の道を挟んだ矛盾した世界。
まだまだ様々な問題があるようです。

その後、石巻から女川までおしえてもらったコースを辿りました。

ここはおしかホエールランドという
くじらを守るためにできた施設。
3.11は津波がこんな位置までも。
こんな高さまで津波がきたらどうすることもできません。
近くには漁港があり、
とても穏やかな時間が流れていました。
新しくできた女川駅。
震災後まちの景色は変わっていきます。
そして石巻に戻り遅いお昼を食べて帰りました。
家がなくなり砂利になっていた場所が多かったです。
紹介していただいたお店でのお寿司。
のり巻きには貝とタラコが珍しかったですね。

今回被災地を回った理由が4年前に
表参道のキャンドルナイトで、都内の人たちから
集めたメッセージ鯛車の届け先を見つけることと
今後、どこか教室が開催できそうなところを
探すためでした。

4年前の表参道キャンドルナイトでメッセージ鯛車を
みんなでつくった様子はこちら↓

https://taiguruma.com/blog/2011/06/blog-post_22-7

石巻から女川へ行く前に石巻の観光協会の方と話しました。

鯛車を持って来た話しをすると、
行き先を探してくれるし、贈呈式をやるのか
やらないのかと聞かれました。
その贈呈している写真が必要なのかとも聞かれました。

ん?? と思い、

話しをよくよく聞いてみると
私たちのような団体からこういった話しがたくさん来るようです。
補助金のついた活動は、言い方は悪いですが
何をやったのかを証明する証拠が必要です。
助成金がなくなっていき、仙台から離れていく人たちが
最近多いとも聞きました。お金はもちろん大事で
それがなければ支援できないのはわかっていますが
それだけの繋がりなんて絶対にいやだと思いました。
私は贈呈式はやらないし、置いてもらうところだけ
探してもらえればと、その場ではお話させてもらいました。

観光協会の方と別れた後、
仮設住宅や被災した土地をまわり色々と考えました。
そして、
一方的にこちらの気持ちを押し付けるだけでは
せっかく集めたメッセージが無駄になって
しまうのではないのかと。
被災地の人たちからしてみたら
必要なものかどうかわからずにもらったものが
ゴミになってしまうことが多々あるそうです。
震災後様々なものがたくさん送られてくるそうですよ。

被災地で教室を行なうということも同じです。
こちらの気持ちだけが先行していることに気付きました。
私は大きく間違っていました。

そして翌日、観光協会の方へ
メッセージ鯛車を置いてもらう話しや教室開催場所を探してもらうことも
一度キャンセルさせてもらいました。
この方には本当に感謝しています。
話を聞かなければきっと気づけなかったと思います。
初めて会った私に対して正直に話をしてくれて嬉しかったです。

考えに考えた結果、これからも仙台とずっと長く繋がって行きたいので
教室を開催するごとにこのメッセージ鯛車を持って歩こうと決めました。
そして、巻や他県で活動する際にこの鯛車にメッセージを足してもらい
メッセージをもらった時の話しを仙台の人たちへ伝えていこうと
決めました!これが私たちのできることです。

震災がおこったとき、被災した人たちとどう接すればよいのか
怖くて、すぐに仙台へ駆けつけることができませんでした。
自分ができることが何なのかわかりませんでした。
この4年間ずっと頭の中にこのモヤモヤがありました。

自分の中での一番の収穫は、
今回の仙台教室の参加者の人たちと鯛車を一緒につくれたことのありがたさ。
そしてもうひとつ、地元巻の人たちといっしょに
普段当たり前のように日曜日に集まって鯛車をつくる、ただそれだけの
行為がなんだか本当に嬉しくてたまらなくなったことです。
みんなが元気で顔を合わせて、鯛車をつくる。ただそれだけで
十分なんだなと。自分が伝えたかったのは鯛車づくりを通じて
自分の町のこと、家族のこと、くだらないことなどなど
一緒に話しながらみんなで笑って過ごすことだったんですね。
仙台の人たちも地元の人たちもみんな同じ。
自分の中で仙台と仙台の人たちに対して「何かしなければいけない」って
勝手に特別扱いしていました。いつもの自然体でいいんですね。
仙台と改めて新潟、地元の良さを再発見できました!

何か気を張っていた自分が情けないというか、おかしかったなと
思いながら一人で笑いながら帰りの高速バスに乗ってましたね(汗)

長くなってしまい本当にすいません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は仙台教室2日目をお送りします!

これからもこの鯛車と一緒に仙台をまわりますね!

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